世界中で愛される「夢と魔法の王国」、ディズニー。
今や巨大なエンターテインメント帝国ですが、その始まりはたった一匹のネズミと、一人の青年の情熱からでした。
この記事では、ウォルト・ディズニーの創業期から、ピクサーやマーベルの買収、そして現代の動画配信サービスへの進化まで、ディズニーの歴史を分かりやすく解説します。
歴史を知ることで、パークや映画の楽しみ方がさらに深まるはずです。
創業期:ウォルト・ディズニーとミッキーマウスの誕生
ディズニーの歴史を語る上で欠かせないのが、創業者ウォルト・ディズニーの存在と、ミッキーマウスの誕生秘話です。
成功の裏には、数え切れないほどの失敗と挑戦がありました。
全ては一匹のネズミ「蒸気船ウィリー」から始まった
1923年、ウォルト・ディズニーは兄のロイと共に「ディズニー・ブラザース・カートゥーン・スタジオ」を設立しました。
当初は順風満帆とはいかず、彼が生み出した人気キャラクター「オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット」の権利を配給会社に奪われるという、手痛い裏切りを経験します。
※この苦い経験が、後のディズニー社の厳格な著作権管理の原点となったと言われています。
失意のどん底にあったウォルトですが、彼は諦めませんでした。
帰りの列車の中で新たなキャラクターを構想します。それが、後に世界的なスターとなる「ミッキーマウス」でした。
1928年、トーキー(発声)アニメーション映画として『蒸気船ウィリー』が公開されると、ミッキーは瞬く間に大人気となります。
※トーキーとは(クリックで開く)
トーキー(Talkie)とは、「トーキング・ピクチャー(Talking Picture)」の略語で、映像と音声(セリフや音楽)が一緒になった映画のことです。
それまでの映画は「サイレント(無声)映画」と呼ばれ、映像だけで音がなく、映画館で弁士が解説したり、ピアノの生演奏を合わせたりして上映していました。
ディズニーの『蒸気船ウィリー』が凄かったのは、ただ音が鳴るだけでなく、「ミッキーの動き(映像)」と「音」が完全にタイミングよく合っていた(シンクロしていた)点です。 (例:ミッキーが口笛を吹く動きに合わせて、ヒューヒューと音が鳴るなど)
実はこれ以前に2作の無声映画が作られていましたが、音声と映像がシンクロした『蒸気船ウィリー』の衝撃は凄まじく、ここからディズニーの快進撃が始まりました。
「全ては一匹のネズミから始まった」というウォルトの名言は、この逆転劇から生まれているのです。
世界初の長編カラーアニメ『白雪姫』への無謀な挑戦
短編アニメで成功を収めたウォルトは、次なる夢を描きます。
それは「長編カラーアニメーション映画」の製作でした。
当時、アニメはあくまで映画の前の「おまけ」程度の扱いであり、90分もの間、観客がアニメを見続けるはずがないと周囲は猛反対しました。
業界からは「ディズニーの道楽(失敗)」と嘲笑されましたが、ウォルトは自宅を抵当に入れてまで製作費を工面します。
そして1937年、『白雪姫』が公開されました。
結果は大ヒット。興行収入は当時の最高記録を塗り替え、その収益でカリフォルニア州バーバンクに現在の本社スタジオを建設することができたのです。
この成功がなければ、今のディズニーは存在しなかったかもしれません。
参考:The Walt Disney Company – Our History
テーマパーク事業の拡大:夢の国ディズニーランドの建設
映画界での地位を確立したウォルトでしたが、彼の夢はスクリーンの中だけには留まりませんでした。
「親と子が一緒に楽しめる場所を作りたい」という願いが、テーマパーク事業へと繋がっていきます。
カリフォルニアから世界へ広がる魔法
ウォルトは娘たちを遊園地に連れて行った際、大人たちがベンチで退屈そうに待っている姿を見て、あるアイデアを思いつきます。
「大人も子供も夢中になれる、清潔で夢のあるパークを作ろう」
1955年、カリフォルニア州アナハイムに世界初の「ディズニーランド」がオープンしました。
映画の世界観を現実に再現したこのパークは、またたく間に世界中の人々を魅了します。
その後、フロリダの「ウォルト・ディズニー・ワールド・リゾート」をはじめ、パリ、東京、香港、上海と、ディズニーの魔法は世界中へと広がっていきました。
特にフロリダは、単なる遊園地ではなく、ホテルやゴルフ場などを備えた巨大な滞在型リゾートとして開発され、現在のテーマパークビジネスのモデルとなっています。
東京ディズニーリゾートの開業とオリエンタルランド
私たち日本人にとって最も身近な「東京ディズニーランド」は、1983年に開園しました。
実は、東京ディズニーリゾートには世界でも珍しい特徴があります。
それは、ディズニー本社が直接運営しているのではなく、日本の企業である「株式会社オリエンタルランド」がライセンス契約を結んで運営しているという点です。
「本場のディズニーをそのまま日本に持ってくる」という情熱のもと、埋め立て事業から始まったこのプロジェクトは、日米のスタッフの執念によって実現しました。
2001年には世界で唯一「海」をテーマにした「東京ディズニーシー」もオープンし、独自の進化を続けています。
世界のディズニーリゾート開園年表
| パーク名称 | 場所 | 開園年 |
|---|---|---|
| ディズニーランド・リゾート | アメリカ(カリフォルニア) | 1955年 |
| ウォルト・ディズニー・ワールド | アメリカ(フロリダ) | 1971年 |
| 東京ディズニーリゾート | 日本(千葉) | 1983年 |
| ディズニーランド・パリ | フランス(パリ) | 1992年 |
| 香港ディズニーランド | 中国(香港) | 2005年 |
| 上海ディズニーリゾート | 中国(上海) | 2016年 |
激動の時代と再生:ピクサー・マーベルの買収劇
ウォルトの死後、ディズニーは一時低迷期を迎えますが、強力なリーダーシップと大胆な買収戦略によって、再び黄金期を迎えます。
特に2000年代以降のIP(知的財産)戦略は、エンタメ業界の地図を塗り替えました。
ディズニー・ルネサンスとボブ・アイガーの戦略
1990年代、『リトル・マーメイド』や『美女と野獣』、『ライオン・キング』などのヒット作が続き、ディズニーアニメーションは「第二の黄金期(ディズニー・ルネサンス)」を迎えます。
しかし、2000年代に入るとCGアニメーションの台頭により、手描きアニメ中心のディズニーは苦戦を強いられました。
この状況を打破したのが、2005年にCEOに就任したボブ・アイガーです。
彼は「自社で一から作るよりも、優れたブランドを買収してファミリーに加える」という大胆な戦略をとりました。
ピクサー、マーベル、スター・ウォーズの獲得
ボブ・アイガー主導のもと、ディズニーは次々と大型買収を成功させます。
まず2006年、スティーブ・ジョブズが会長を務めていた「ピクサー・アニメーション・スタジオ」を買収。
これにより、『トイ・ストーリー』などのCG技術とクリエイティブを取り込みました。
続いて2009年には「マーベル・エンターテインメント」、2012年には「ルーカスフィルム」を買収。
これにより、アベンジャーズなどのヒーロー映画や、スター・ウォーズシリーズまでもがディズニーの傘下となりました。
さらに2019年には「21世紀フォックス(現・20世紀スタジオ)」を買収し、『アバター』や『X-MEN』も手中に収めています。
この「コンテンツの拡張」こそが、現在のディズニーの圧倒的な強さの源泉となっているのです。
まとめ:進化し続けるディズニーの未来
ディズニーの歴史は、失敗を恐れない挑戦と、時代の変化に合わせた柔軟な進化の連続でした。
ガレージでのアニメ製作から始まり、テーマパーク建設、そして巨大メディア企業への買収戦略まで、その歩みは留まるところを知りません。
現在は動画配信サービス「Disney+(ディズニープラス)」に注力し、映画館やパークに行かなくても、自宅でディズニーの世界を楽しめるようになりました。
2023年には創立100周年を迎えましたが、ウォルトが遺した「ディズニーランドは永遠に完成しない」という言葉通り、この企業はこれからも私たちに新しい驚きと魔法を届けてくれるでしょう。
次にディズニー作品を見たり、パークを訪れたりする際は、ぜひこの壮大な歴史に思いを馳せてみてください。
きっと、今までとは違った感動が見つかるはずです。







